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The song of birds

About

このプロジェクトの支柱となる楽曲「鳥の歌」はカタルーニャの民謡として古くから歌い継がれてきました。その由来と歴史をご紹介します。

鳥の歌 The song of birds/El Cant dels Ocells

鳥の歌は元来、カタルーニャ(現在のスペイン東北部・地中海に面したカタルーニャ州)の民謡として長い歴史を持っています。原曲の作曲者や正確な成立年代は不明ですが、カタルーニャでは伝統あるクリスマス・キャロルとして歌われていたようです。

 

鳥の歌のルーツ

とても長い歴史を持つ「鳥の歌」ですが、意外なことに原曲の作曲者は不明です。カタルーニャの長い歴史の中で少しづつ形を変えながら歌い継がれてきたこの曲は、ほかの多くの国に伝わる「民謡」と同じように、楽譜に書かれる以前からひとびとの心に歌い継がれてきました。

長い年月の中でさまざまに受け継がれた中で今日わたしたちに伝わる「カザルス版」鳥の歌、それに至るまでの歴史はカタルーニャの文化と密接に関わっています。歴史が紡いだ楽曲の原初のかたち、そしてカザルスとの関わりを知るべく、鳥の歌プロジェクトは2019年にバルセロナを再訪して取材しました。

カザルス以前

カザルスが編曲して世界に送り出す前、鳥の歌はどんな曲だったのでしょうか。

鳥の歌はカタルーニャの民謡としてはるかな昔から歌い継がれてきました。

1705年には歌詞つきのヴァージョンが存在し、資料が残っています。当時のメロディーは失伝していますが、この頃には既にクリスマスキャロルとして歌われており「冬の夜に春の鳥が訪れ、皆で歌い楽しみ、聖なるものと自然、そして人を一体のものとし友愛の精神を讃える」という内容でした。歌詞にはいくつかのヴァージョンがあるものの、キリストの生誕を祝って鳥が訪れ、家族、自然、国、平和を歌うとうテーマが一貫して受け継がれています。

メロディーは長い時間をかけ様々な音楽家が少しづつ編曲し、現在伝わっているものだけでも音の長さや高さが違う3種類の鳥の歌があるということです。ごく限られた地域に伝わる「ご当地版」もあり、いまでもマジョルカではミサのときに子供たちが「鳥の声に似た音を出す小さな楽器」を使って鳥の声を表現する風習が残っているそうです。

サルダーナとコブラ

カタルーニャの文化を語るにあたって欠かせないもの、それがサルダーナ(Sardana)です。

サルダーナは民族舞踊とも言うべき伝統のダンスで、広場に人々が輪を作り、音楽とともに踊るのです。

面白いことに、この踊りは特定のグループで集まるのではなく、たまたまそこに居合わせたひと同士が輪を作って自由に参加します。曲の途中で輪に入る、抜ける、地元のひとびとは自由自在です。

そしてもうひとつ欠かせないもの、コブラ(Cobra)はカタルーニャの伝統的な楽隊のことです。

コブラにはテノーラ、ティビリャといった伝統的な楽器が残っており、カタルーニャの休日を彩る独特な音色を奏でます。

学生や社会人アマチュアによるコブラ、プロのコブラといったように様々なグループがあり、現在120ほどのコブラが活動しているそうです。

鳥の歌の進化、そしてカザルスのもとへ

コブラのレパートリーにも「鳥の歌」は存在しています。カザルスも耳にしたであろうコブラ版「鳥の歌」は、近代コブラの基となる楽器編成を生み出したペップ・ヴァントゥーラ(1817-1875)によるものではないかと思われます。
ヴァントゥーラは当時のサルダナとコブラに制約が多すぎると考え、金管楽器を取り入れて現代に繋がる編成を生み出し、作曲にあたっての自由度を大きく拡げた改革者とされています。(ちなみに、前述の楽器"テノーラ"はパリ万博の頃にヴァントゥーラがフランスから取り入れ、以降コブラに定着した楽器だそうです。)

ヴァントゥーラの編曲によるメロディはコブラの進化に合わせて音域を広げ、ポピュラーソングに新しい命を吹き込むものでした。

長い歴史を経て19世紀の最後にヴァントゥーラによる近代コブラ版となり、20世紀にカザルスが再編曲した鳥の歌。

現在それがカタルーニャの、そして世界の平和のシンボルとして残っています。

歌い継ぐことは単に不変であることを意味するのではなく、想いを継ぎながら発展させることでもあります。

鳥の歌の歴史はそれを体現しているのではないでしょうか。

パブロ・カザルス

パブロ・カザルス(パウ・カザルス)はカタルーニャが生んだ偉大な作曲家/チェリストとして世界にその名を知られています。

1876年、バルセロナから72kmのタラゴナ県エル・ベンドレイに生まれたカザルスはチェロの名手として世界に知られる存在となります。世界中で演奏活動をしながらカタルーニャを愛したカザルスでしたが、カザルスの生きた時代は戦火の時代でもありました。1939年、スペイン内戦が始まりカザルスはフランスに亡命します。国境近くのプラドに隠棲し1945年まで表立った演奏活動を行いませんでした。1945年6月に演奏活動を再開するものの、同年11月にはフランコ独裁政権に抗議して再び活動停止、1950年に音楽監督としてプラド音楽祭に携わるまで長い沈黙を保ちました。

1971年10月24日、94歳のカザルスはニューヨークの国連本部で「鳥の歌」を演奏し、

"わたしの故郷カタルーニャの鳥はピース、ピースと鳴くのです"

という言葉で世界に平和を訴えました。

カザルスと鳥の歌

カザルスと鳥の歌には深いつながりがあります。

カザルスはコンサートの最後に必ず「鳥の歌」を演奏していました。カタルーニャの民謡「鳥の歌」はカザルスにとって様々な意味を持っていましたが、とくに故郷を離れフランスに居を移してからは望郷の想いとともに心に残り、このころ同じように故郷を離れフランスに来た人々と催した小さな演奏会でレパートリーに加えたのだそうです。チェロで演奏するにあたって短調に変え、テンポや音の長さを変えるなかで「しっくりくる」ものになったことで「カザルス版鳥の歌」が生まれ、以来演奏会の最後に弾くようになりました。

 

カザルスが平和への願いを込めた鳥の歌は人々の心に記憶され、地域のポピュラー・ソングの枠を超えて世界的な名曲に昇華しました。そして今でも、その思いを受け継ぐ音楽家によって演奏され、聴くひとのこころに響いているのです。

カザルスからわたしたちへ、

次の世代へ。

そして、鳥の歌は現代のわたしたちに受け継がれました。音楽家だけではなく、すべての人に向けられた平和へのメッセージです。

鳥の歌はこれからも発展を続けてゆきます。この歌が世界中に聞こえるように。込められた願いが伝わるように。

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カザルス財団について

 

ファシズム、そしてさまざまな人道上の問題に対し、音楽家として、そしてスペイン内戦亡命者達への人道支援家として向き合ったカザルス。幼少期からスペイン王室にも愛され、カタルーニャの民衆にも愛され、一般の労働者層が優れたオーケストラやオペラを楽しめるように低価格の会員制音楽鑑賞協会を作ったり、ケネディ大統領に招聘されてアメリカから平和へのメッセージとして「鳥の歌」を演奏したり、彼の業績は多面的で真摯、そして常に誇り高い品性に裏付けられていました。


彼の残した膨大な楽譜や資料、収集した美術作品などを後世に伝える役割を担っているのがマルタ元夫人を中心とした人達によって運営されているFUNDACIO PAU CASALS(カザルス財団)です。博物館となっているサン・サルバドルの元邸宅、バルセロナ市内のカタルーニャ公文書館の運営、若い演奏家を支援するチェロコンクールの開催や毎夏開催されるPABLO CASALSDAYの制作など、多岐に渡る業務を担っています。財団のページにはカザルス
の残した教えとして「音楽を消費財では無く、人間の根幹に関わる大切なものとして」支え育てていくことを目的にしていく、と明記されています。
「連歌・鳥の歌」プロジェクトはバルセロナ交響楽団の音楽監督・指揮者であった大野和士さん、ゆり子さんご夫妻らのご尽力で、財団ディレクターのジョルディ・パルド氏に活動内容を知って頂き、全面的なサポートと深い理解を頂いて
います。実を言えば、この流れの根底にはかつて東京・神田にあって1987~2002年まで意欲的な表現活動を生みだしていた「カザルスホール」の存在があり、財団関係者にとっての日本のチェリスト、音楽家、ひいては音楽ファンに対する敬意と親近感があります。カザルスの演奏したレコードが本国以外で一番沢山買い求められていたのが日本である、という事実をカタルーニャの音楽人達は忘れることがないのです。

このプロジェクトはコンサート・現地取材など様々な場面において

FUNDACIO PAU CASALS(バルセロナ)の皆様にご協力いただいています。

カザルス財団のYouTubeチャンネルにおいても貴重な映像がご覧いただけます。

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